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まだ、旅の途中。

by 鍋坂樹伸

水泳と自転車と旅での出会いの話。


ものごころついた時から、大学生まで水泳をしていた。

何かを長く続けることは人生経験としてよい。とか、一芸は身を助く。なんて言われながら。

水の中での浮遊感が好きなだけで20年続けられた。
(無呼吸でも少しの間は苦しくなかったし、フヨフヨと宙に浮く感覚が大好きだったのが一番の理由。)

今回はスポーツの意義とか、得たことなどは置いといて。



大学で水泳をする気はなかった。

テニスサークルとかに入って大学を満喫しようと思っていたが、結果は体育会だが部に昇格する前のできたての水泳同好会に入った。
結果在学中に、部へ昇格していた。



そこで素敵な先輩に出会った。

先輩は日本トップクラスの日大豊山高校出身で1500m自由形の選手をしていた。
ある日そんな先輩からマウンテンバイクで遊ぼうと誘われた。

誘い方はこう。
「ナベはさ、コースロープで仕切られた安全なところを一人で泳ぐってことしかしたことないだろ。
コンタクト競技は殴られたり蹴られたりするし、自由な発想で縦横無尽に動いたり。
同じスポーツでも水泳しかしていないからお前はつまらないんだよ!頭固いし柔軟性が無いし!
山を走り回るマウンテンバイクは景色もいいし、飛んだり、転んだりして楽しいぜ! 」

ま、ざっとこんな具合に。(印象として。)

山へ行き林道を自転車で走る遊び。

一応マウンテンバイクを持っていたので、山を走れるようにタイヤを交換だけをおこなう。

決して安く無い専用タイヤに交換したにもかかわらず、初参加の当日、下宿先の駐輪場に置いていたはずの自転車が誰かに盗まれる。
仕方なく自転車屋さんが準備してくれた自転車で参加する。

そしてツーリングでは人生観を変える出来事が。

誘ってくれた先輩と共に、1学年上の水泳部の先輩と3人で走った。
当時は体力にも自身があったし、ママチャリだが子供の頃から親しんだ自転車。


風を切る音、タイヤから伝わる振動、手のシビレ、上り坂を必死で漕いで登ったりと、
五感すべてが刺激される感覚が新鮮で気持ちよかった。

ツーリングスケジュールが半分くらい過ぎたころ。
後半は下り坂中心なので、本来の楽しみであるスピードが感じられるところ。
慣れない山道の路面に自転車がスリップ。
ひとつ上の先輩を巻き込んで大クラッシュ。
転び方も悪く、服が破れ左膝からは出血、ヘルメットをつけていたものの脳震盪に。


目は開いているはずなのに、前がよく見えない。
カラーのはずの視界がテストパターンのようにモノクロ?いや、銀色でチカチカしている。
意識が遠く呼びかけてくれているはずだが声が聞こえづらい。
フラフラしながら、自転車にまたがりゆっくり参加メンバーが待ってくれている場所へ。
飲み物を飲んだり、タバコを吸って休憩し、徐々に意識は回復。
以後調子に乗らないよう慎重に下山した。


「なんやこの衝撃は!死ぬほど面白いやないか!!」

意識が戻った途端そう思った。
転倒シーンを思い返すと怖くて震えたが、素直に心がそう叫んでいた。


そもそも生活の足である自転車がなくなったので、とりあえず自転車を購入。
遊びの内容は競技でいうと「ダウンヒル」というよりは「クロスカントリー」になる。

前輪の衝撃を吸収すべきサスペンションがついている自転車を購入。

しかし千葉県柏市に住んでいたので近くに山がない。
月1回イベントは大人と一緒に楽しめたが、天候の関係でなくなったり。
自力で楽しむには不自由な土地。



自転車で旅。

ある日テレビを見ていたらワイドショーで小学6年生の男子二人が、日本縦断していると。
一人は鹿児島から北へ、もう一人は北海道から南へ。

自分もできるかな?と恐る恐る自転車ショップの店長に聞いてみたところ、
「ぜひやった方がよいと」即レス!
自転車の先輩たちからアドバイスをもらったり、道具を借りたり、必要なものを購入したり。

とりあえず1回目は、千葉県の柏市の下宿から実家のある香川県高松市へ8日間871kmの旅。
(2年後北海道の稚内から、東海道は途中電車を使い鹿児島県お指宿まで走行。21日間3000km走行。)
2回の自転車の旅、多くの人と触れ合った。
1回目に出会った男性の言葉が印象深かった。

柏から東京、箱根駅伝のコースを走り、大阪まで国道1号線、大阪から国道2号線神戸から淡路島まではフェリー。

ここまではよかった。

旅も大詰めゴール予定日。徳島(鳴門)経由で高松の実家という時に、衝撃の事実が。

箱根や鈴鹿の難所を越えたどり着いた淡路島の南の端。
同じように自転車で旅をする男性に出会う。
「四国へ渡るにはフェリーも無いし、鳴門大橋は高速道路だから自転車では渡れない。渡りたければ自転車が積めるような大きな車かトラックを捕まえヒッチハイクしか無いよ。」と教えてもらう。



え、自転車では渡れないの?

元来、勝手にひとりで頑張ることはできるのだが、人にお願いするのが苦手。
ちなみに男性は天気が悪いからここで野宿すると。
今日実家に帰りたい私は「淡路南インター」でポツン…。

自転車が乗せられそうな車も何台か通り過ぎる。

「・・・。」

意を決して走るトラックに声をかけ、清水宏次朗似のやさしいお兄さんに鳴門まで運んでもらい、
国道11号で降ろしてもらい予定通り高松の実家へ無事(?)ゴール。
(「俺は阿南(南)へ向かう!高松へ帰るお前は反対方向だぜ!」と言い残し、
「ファン、ファ〜ン!」クラクション2回鳴らしブロロロロと走り去る。)



ところで淡路島で出会ったお兄さんと何を話したのか?

淡路南で出会った旅をしている男性は神奈川県の鎌倉出身。
出発する直前まで阪神大震災(その当時は震災2年後)の復興ボランティアで長田区あたりで活動をしていたらしい。
一旦区切りをつけるために、一度現場を離れ自転車で旅をしているという人だった。

男性「鍋坂さんね、数百キロ走り続けたらわかると思うけど、道ってほとんどアップダウンでしょ?」
ナベ「はい。」
男性「上り坂は時間がかかるから、行程のほとんどを上り坂に時間を費やしているんだよ。
要するに苦しい時間が多いんだよね。」
ナベ「はい。」
男性「これって人生に似ていると思うんだよ。」
ナベ「はい。」

学生だった当時の私は実はピンとこなかった。

今の私が彼と同じテンションかというと違うかもしれないし、それ以上かもしれない。
そればかりは測れないからわからない。
けどこの出来事というか、会話は毎日一度は頭をよぎる。



「寿命が尽きる日」が旅のゴールとして、その時まで「いかに生きる」か?

1997年の春、バカ丸出しの大学生は、柏から実家までの自転車の旅を終えた。
2018年の42歳の自分のことすらも想像すらできず、無我夢中で走った。


いつ死ぬかなんて誰もわからないよな。

特筆した取り柄なんてなんもない。
ただこれからどんな出来事があっても、「まだ、旅の途中」と言っていれば、
止まってられないし、向上心を持って1日1日を大切に生きていける気がした。


このg.o.a.tというサービスに出会い、
ある日ふとブログを書こうと思ったとき、
自分の心にいつもある、あの日淡路島で感じた『まだ、旅の途中。』という言葉をブログタイトルに決めた。


鍋坂樹伸
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